私は、技術者として働いている。
自分にあった仕事とは、他人から見れば比較的苦労せずに出来てしまうこと。
と言われている。
しかし、まぁ、それが何なのか、わかる人は少ない。
かく言う私も何が他人から見て楽にできるのか一部しかわかっていない。
私が自覚していることは、世の中の製品、仕様を確認することでどのような技術が使われているか見透かすことができる。
根本にあるのは高校時代に生産系のいわゆる機械科に在籍し、
大学時代は電気電子と情報通信、プログラミング系も少し噛っている知識、
社会人として開発や品質保証の実務を通してものづくり全般のことについて知識があること
それらの知識があるから1つの製品を見たときにざっくり、どういう技術が使用されているか理解できてしまう。
しかし、特定の技術にフォーカスすると深いところまでは理解が及ばない。
故に、自分が理解できてなくて、知りたいと感じる箇所は理解できたりする。
最近だと、AI、機械学習とは何なのか、ということを勉強していたりするのだけれど。
技術は深堀りすると1つの書籍を読むよりも面白いことがある。
プログラミングを例にするとわかりやすいのだけれど、例えば、何かプログラミングによって動作している製品を思い浮かべてほしい。
それは組み込みのマイコンに書かれたものでもいい(炊飯器や電子レンジなどの家電の制御プログラム)
ゲームのようなプログラムで出来ているモノ、社会のインフラ化しているシステムでもいい。
そのプログラムが見れる立場だったとして、
それらのプログラムは簡単なものであれば1人の技術者で作られている場合もあるが、複雑なものは複数人ので作製されている。
それは、当然プログラミング言語で書かれているわけで、その言語の読み方を学べば読める。
不慣れな状態でも、時間をかければ必ず読める。
しかし、その内容は一部を読んでも意味がわからず、全体を理解してやっとシステムが理解できることが多い。
そのプログラムは技術者の解釈であり、その上に製品を製品たらしめる要求がある。
プログラミングを行った技術者が、その要求がイメージ出来ているか、出来ていないかでシステムの品質は左右されるのだけれど、要求に対する解釈は機械すら理解できるように書かれたものである必要がある。
プログラムは、技術者の考え方が複写されている。
また、そのプログラムが短く、読みやすいものであればなおよし。
要求(製品で実現したい制御)が自分だったら、こう考えて機械に落とし込むかな・・?と思っていたことが、プログラムを読んで、こう考えればもっと単純に制御できるんだ!と予想を裏切られたときが本当に快感。
この感覚は読書に似ている。目次を読んで、「こういうことが書いてあるんだろうな」と考え、実際にそうだと流し読みするのだが、「その発想はなかった!」となると快感を覚える。自分が少し頭が良くなった(持ってなかった思考回路を得た)感覚。
そのうち時代が変わればプログラミングの発想転換!事例集なんかが書籍化されることがあるかもしれない。※すでに世の中にあれば読みたいが、私は存在を知らない
話が深くなりすぎたので、本筋に戻すが、技術といっても、多岐にわたる分野があり、すべての知識を得ることなんてしてたら、人生の時間が足りなくなる。
だからそれぞれの得意な知見をあわせ、協力し、世の中の製品は出来ている。
技術者が寄り集まってレイドバトルする感覚かな?
その技術者を抱えるための会社という仕組みがないと、技術者は分業によって探求する出来ない。
昔の数学者たちが、1つの問題を証明するために人生の時間を使いまくっているような感じですね。
だから、知識で働ける人が多くなると、その分野の研究が進み、技術が発展するんです。
AIを使って頭を使わなくて良い仕事はどんどん減ることには賛成です。
それだけ時代が早く前に進むから。
その時代から生まれた製品、プログラミング言語、プラットフォーム、何でもいいけど、新しい世代が違う視点、違う解釈を持つと更に時代が前に進む。
だから技術者でいることはやめられない、現役で働ける時期はずっと技術者で居たいと思う。
次の世代をできるだけ高いところからスタートさせられるように。


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